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エレファントピア

エレファントピア

国際結婚について

コクサイケコンカン

結婚してみてまだ2年とちょっとなので、何もよく分かっちゃいないのですが、ぼつぼつと思ったことなどを。でも「国際結婚」なんていっても、一概に語れるわけもなく、結婚観は夫婦の数だけあるのでしょうから、とりあえずウチの場合は~ということで。


言葉の壁
私がまだ若くて制服などを着ていたとき、「国際結婚」という言葉は知っていましたが、自分には絶対縁がないと頑なに信じておりました。なんでかというと、自分がそんなに外国語が上手くなれるとは思ってなかったから。それに、恥ずかしながら文学少女~っぽかったので、日本語でしか表現できないような事象やら叙情やらを理解し合えないというのは、いかにも淋しかろうな…と思ったからでした。

そしてン十年を飛越え、現在。何を間違ったか、というかいろいろあって結局外国人と結婚してしまいました。それで言葉の問題が解決されているのかというと、そんなことは全然ありません。日常会話はまだしも、細かいことや深いことを話そうとすると難しい。例えば寝る前に本を読んでいて、面白くて笑ったり、感動してウルウルしてると、「何読んでるの?」って聞いてきますよね。そうするとそれを英語で説明しようとする、そうすると…ぐぁ~勘弁してくれ~!となる。もうウルウルどころではありません。(ちなみに最近一番説明困難だったのが、「バカの壁」。これは言葉というより感覚が違うと分からないのかなあ?と、自己弁護。誰か英訳してくれ~)

ウチの場合、こんな感じで言葉を巡る問題というのは、これから結婚が続く限り続くのだろうな~。と思っています。もちろん状況をよりよくするための努力はお互い必要でしょうが。自分のことは棚に上げても、ダンナに日本語を習ってもらいたい今日この頃です。

でもいいこともあります。それはこの言葉の「壁」が、はっきりくっきり塗り壁のごとく見えることです。お互いに「ああ、私たちの間には壁がある…」というのを認識せざるを得ません。本当はこういう壁は例え日本人同士でも、存在してると思います。部長さんと新入社員の間とか、お母さんと思春期の子供の間とか。コンクリだったり、網戸だったり、いろんな形で。とりあえず私の場合は、自分が言ったことは相手に伝わっているハズ!という前提でいました。
ところがこういう前提の通じないヤツが配偶者になってしまいました。時々「言ったじゃん!」「聞いてないよ!」ということがあっても、心の中では「ああ~やっぱ伝わってなかったか~♪」と納得して、(烈火のごとく怒った後、)あっさり流すことが可能です。相手に過剰な期待を抱かないという点では、見える壁は有利です。


感覚の違い
言葉の壁と重なるところも多いのですが、感覚の違いというのにも覆うにして驚かされたり、ストレスを感じたりします。ウチの場合は同じアジア人だし華僑なので、そんなに激しい差はないと思いますが。

それでも結婚した当初は、許せん!許せん!!許せん!!!と怒ったことがたくさんありました。ここに書くと、匿名とはいえ、やっぱり恥ずかしくてとても書けないようなことが…。私の沸点があまりにも低いので、「この人はどこかおかしいのじゃなかろうか?」と不安にかられたものだと、夫は回想していました。あんたのせいだっつーの!

しかし最近は随分落ち着きました。年月は人を変えます。夫が私の気に障ることを改めてくれた…訳ではありません。ひとえに私が馴れちゃったからです。あんなに嫌で嫌で泣いていたことも、もう全然平気。しかしあまり馴れると、今度は日本に帰った時に困るかも…という不安もありますが。

後、感覚の違いに戸惑うのは、お互い様だというのもあります。相手がどんなに私の(日本的)行動を嫌がっても、私の気が変わらなければ絶対変えないだろうと思い至って、言ってもムダということに気付きました。

別に国際結婚じゃなくても、こういうぶつかり合いとすり合わせはあると思うので、ぶつかり合いの原因となる態度・行動がそれぞれの国や民族の文化、風習、環境に起因しているという以外はなんら珍しいことではありません。「あ~あ、やっぱ文化が違うからだな~」と平和裡に流してしまうことも可能です。逆にどーしても腹の虫が治まらないときが大変ですが…。


それは言っちゃあイカンだろ!?
私は国際結婚したら、それ以前の問題ですが、相手の国を侮蔑したり見下すような発言は絶対タブーだと思っていました。でも批判は別です。ヘンなことはヘン。それは自分の国でも相手の国でも同じです。

でもこの境界線というのが、結構あいまい。自分は批判をしているつもりでも、相手には侮辱に聞こえていたりするからやっかいです。逆に相手が日本の政治やニュースにコメントする時、これは私の修行がたりないからなのですが、どうも過剰に反応してしまいます。
これは私自身、彼の意見に対してどう反応すればいいのか分からないからだと思います。もちろん同調して一緒になって批判することもできますが、夫が日本人だったらそうしていたかもしれませんが、な~んかね~。
例えば私自身が日本での出来事を批判する場合、その出来事とそれが起きた背景や理由なんかを知っているか、想像して、「しょーがないな~」となるわけです。でも夫に言われると、「いやいやそうは言っても、あんたは事情を知らないでしょう」と、やけに弁解くさくなってしまいます。(なぜ私が脱税者の弁護を…)
このへんの心理は自分でもまだよく分からないので、ぶんせきちゅうです。

逆に夫に対して、シンガポール批判の集中砲火を浴びせても、ヤツは平気の平左です。たまに(よく?)感情的になって、エスカレートして非論理的にいろんなことを言い始めると、さすがに怒るけれど、次の瞬間にはシュークリームに夢中になっています。 なんなんだろう、この差は?年の功?


それは触れちゃあヤバイだろ!?
お互いの家族のこととか、わりかし深刻な身体的欠陥のこととかいろいろありますよね。ウチの場合、ヤバめトピックの一つはズバリ、戦争です。(WW2)

始めは、みんな優しいから触れないでいてくれるんじゃないかな~と思っていました。でも甘かった。「姉が日本軍の爆撃にやられてね…」とかお義父さんにいわれた日にゃあ、もう。(TT)「祖父は抗日ゲリラにやられまして…」とかいうネタがないと対抗できないか!?(なぜ対抗する)

しかしこのトピックに動揺するのは家族の中では私だけです。家族の皆は「まあ、という不幸な時代もあったけど、大事なのは今と未来だから」という態度です。思うに彼らの中では、相当な範囲でWW2というのは精算済みなんじゃないかな?まあ、日本人の嫁の前だからというのもありますが。
それに引き換え私は挙動不審全開。あやまってみる、泣いてみる、眉間に皺をよせてみる、開き直ってみる、いろいろやってみました。でもどれもしっくりこない…で、結局逆ギレしました。
常に逆ギレする私に対して、夫はやはり「どこかおかしいんじゃないだろうか…」と思ったそうです。そこで私は、「日本は戦後50年、大戦を国際的にも国内的にも心情的にも精算できていない国なのだ。だからどう反応していいか分からないんだよ~」というどっかで聞いたようなごたくを並べて、責任を個人から国に転化しておきました。(スミマセン)私のつたない英語による大演説に、夫は恐れを成した理解してくれたようでした。

でも、戦争記念公園の前を通ると、「ここは…」とまた語り始める…。だーっ!しつこい!

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なんだか話がだんだん国際結婚から離れているような?
まあ今の所は、国際結婚とは言ってもなんら特別なことはなく、いろんなことをチューニングしながらやっているという感じでしょうか。チューニングは上手くいけばいいけど、ぶっ壊れてもう2度と元に戻らなくなることもあるから注意が必要ですね~ハッハッハ。
久々の長文で疲れた~。ここまで読んでくださった方、もしいらっしゃったら、ありがとうございました&お疲れ様でした!!

(2004年5月14日)











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